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【第2回】お花屋さんを夢見た幼少期、医師を目指すまでの夢の変遷 ~白井沙良子先生

白井沙良子先生

小児科医の白井です。
医師歴11年目。今でこそ「小児科医は自分の天職だ」と思えるようになりましたが、私は特に医師家系の出身でもなく、病気がちでずっとかかりつけの先生がいて…というわけでもありませんでした。

特に、夢らしい夢もない。本当に医師に向いているのか、わからない。今そんな思いをかかえている学生さんたちの、ちょっとした支えになればと思います。

1.幼少期の鉄板「ケーキ屋さん」「お花屋さん」

私は、特に「医師」という仕事が身近ではない環境で育ちました。なので幼稚園や小学校で「大人になったら、何になりたいの?」と聞かれたら、「ケーキ屋さん」「お花屋さん」などと答えていたのを思い出します(ちなみに今でも、お花屋さんをふらっとのぞくのは好きです)。

2.「女性の弁護士さん」に憧れた小学生

小学校高学年の頃から、急に「弁護士」という職業を意識するようになりました。 

女性弁護士である大平光代さんの書籍「だから、あなたも生きぬいて」を母が買って帰ってきて、私の部屋に置いていたからだと思います。

壮絶ないじめ体験の後、暴力団に入るも、その後一年発起して弁護士となり、少年犯罪に向き合う著者のストーリーは、小学5年生の私にとってもショッキングなものでした。そして自分の育ってきた世界と全く違う世界で奮闘し、社会に貢献する姿に「ああかっこいいなぁ」と漠然と憧れたのを思い出します。

この頃に中学受験も経験しているのですが、おそらく受験の面接で将来の夢を聞かれたときにも「弁護士です」と答えていた記憶があります。

3.高校は「とりあえず理系にしておこう」

大学附属の中高一貫校だったので、高校受験もせず、のんびりとすごしていた中高時代。

帰国子女枠で入学してくる生徒も多く、英語の授業が盛んで、ネイティブの先生による授業や、レベル別の授業を設けている学校でした。私は帰国子女ではないのですが、英語の成績がそこそこ良かったという理由で、帰国子女クラスで英語の授業を受けていました。

そこでのディベートの時間は、なかなかつらかったのを覚えています。英語というハードル以上に「私はその意見に反対!」「メリットが全くない!」などと、みんながあまりにズバッと意見を言っているのが、カルチャーショックでした。ちなみに他人を評価するカードもあり「あなたの発音は変だ(Your pronouciation is odd)」と書かれて、学校のトイレの個室で一人で泣いたこともありました(笑)。

高校になると折に触れて、そろそろ進む学部や、将来を意識するように、と先生にも言われます。しばらくは「弁護士」という夢を持ち続けていたと思うのですが「よく考えたら、私、人と議論するの、得意じゃないな」とふと気づいたのです。英語のディベートも、よく考えたら、正直に意見を戦わせるという行為自体が苦手だったのかなとも感じました。そして性格的にも、とにかく平和主義。悪く言えば八方美人。人に合わせすぎ、と言われることも多いくらい、自分の主張を通すということが苦手なタイプでした。

「うーん、私に向いているのは弁護士じゃなさそうだ…」となり、しばらくは特に夢という夢もないまま過ごしていました。そんな状態で高校2年生を迎えて、いわゆる「文理選択」の時期になりました。内部進学で理系の学部に進みたければ、理系コースを選ぶ必要があります(理系コースを選んでも、文系学部を志望することはできます)。弁護士だけ考えていれば文系を選んだのでしょうが、特別な夢もなかったので、「あとで理系学部に行きたいってなっても、後悔しないように」という理由だけで、理系コースを選びました。

4.一冊の本と、「向いていると思うよ」という一言で医学部へ

高校3年生になっても、行きたい学部は絞れていませんでした。ただし個人面談のときや、普段のなんでもない会話のときに、複数の先生に「医学部、向いていると思うよ?」と声をかけられることが多く、なんとなく意識するようになりました。

たしかに中学1年生の頃から成績は良い方でしたし、美術や家庭科といった、いわゆるサブと呼ばれる教科にも、手を抜かない真面目さはありました。文化祭の委員会活動もやったり、(運動が得意ではないし…という理由だけで入ったのですが)英会話部の部長もやっていました。いわゆる「内部進学生」として、先生に評価されやすいタイプだったと思います。

また特別授業として、月に数回くらいしかお会いしない先生にも、なぜか「医学部を少しでも考えている生徒には、みんなこれを読んでもらうように、貸してるんだ」と一冊の本を渡されました。内科医であるウィリアム・オスラーの「平静の心」という講演集です。ジョンズ・ホプキンスやオックスフォードの教授も努めたオスラーの書籍、当時は「難しい…」の一言でしたが、自分が気になったフレーズや、いいなと思った言葉を、小さなノートに書き溜めながら読んだのを覚えています(ちなみに医師3年目くらいのときに、改めて読み直したときも、やはり難しいと思いつつ、医師の仕事をしてからのほうがより理解を深めながら読めたと思います)。

5.「数学の先生」も良いかも…

こうして医学部を意識するようになりましたが、一方で同じ時期に「数学の先生」の道も考え始めていました。もともと友だちに「勉強教えて!」と言われることも多く、その時の教え方を、先生や親に褒められるのがとても嬉しくて「先生っていいな」と漠然と思っていました。

そして数学は決して大得意ではなかったのですが、数学の授業を受けたり、問題に取り組んだりするのは好きでした。そして振り返れば数学の先生に恵まれていました。

まず中高一貫生用の塾で出会った男性の先生が、強烈でした。「今から、こっち(先生から向かって右半分の席に座っている生徒)は、黒板の右側をみててね。こっち(左半分の席)は、黒板の左側をみてね。」と言いながら、黒板の真ん中に線を引き、1つの問題を、2つの解き方で、同時に解説してくれました。「なんて面白いんだ!」と最高にワクワクしたのを覚えています。

また高校3年生の、女性の先生は、とにかく数学を愛していました。何かの公式の証明を教えてくれた際に「ねぇ、これさ、最高に美しいと思わない?私大好きなんだよね、この証明。」とニコニコ喋っていました。クラスのみんなは「え〜やば!」「美しいってなんだよ(笑)!」などと言っていましたが、私はああ、これだけ数学が好きで、数学を仕事にできているなんて、素晴らしい人生だなと憧れたのを覚えています。

6.推薦で医学部へ

そんなこんなで、内部進学として、希望する学部を最終提出する時期になりました。第一志望は医学部。第二志望は理工学部(数学の教師になるためには理工学部を出る必要がある、と当時聞いていたからです)。第三志望は法学部の法律学科。たぶん一般の受験ではありえない併願パターンですが、内部進学だとこのように、多様な学部を同時に出願することができます。

希望する学部に推薦をもらえるかを決定する、最後の大きな学内テスト。よりによって、数学の大問が1つ解けなかったんです。最後の最後の1秒まで粘ったけど、どうしても解けなかった。「ああ、医学部、無理かも」とふと思った記憶があります。内部進学で医学部に行けるのは、1学年あたり6名。そして6名以上が医学部に行きたいと思っていることも、なんとなく知っていました。

そこから1ヶ月以上が経ち、体育館で推薦学部の発表をみたときには、思わず涙が。「医学部」に自分の名前がありました。小さい頃から、何が何でも医学部に…!と思ってきたわけではないのに、やはり医学部を意識してからは、自分の中でも一つの目標において、必死に勉強してきたので、プレッシャーもあったのかもしれません。推薦してくださった先生方にお礼を伝えた後に、母に電話。よかったね、の一言がとっても嬉しかったです。

7.小児科医は、私の天職と思えるように

その後6年間の医学部生活を終えて、医師になったわけですが、結果として、医師とくに小児科医は私の天職だと思っています。

仕事の内容は別の記事を見ていただければと思いますが、医師といっても、様々な仕事や、求められる能力があります。

たとえば平和主義で議論が苦手、と思っていた私ですが、お子さんの診療方針となると、自分が前日までに勉強してきた知識をフルに活かしたいと思って、カンファレンスでも臆せず意見する自分が。よく「自分のことは、自分が一番知らない」といいますが、学生の頃の、自分への評価ほど、あてにならないなと思います(笑)。

また後輩の研修医や専攻医などを指導する場面は、必ず出てきます。「どうしてその治療方針にしたの?」「どうやって調べたの?」とその都度、その人の背景を確認しながら教えるスタイルは、学生の頃と変わりません。ずっと変わらない自分の良さ、みたいなものに気づける瞬間は、嬉しいですよね。

医師を目指すきっかけは人それぞれですし、どんな理由が良い悪いというわけではないと思います。それよりも、どんな職業でも、せっかく御縁をいただいた職業だと思って、自分にとって天職だと思える力のほうが、きっと大事です

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